k-vickyのブログ

クローン病の僕が世界一周をしたりしてみんなに希望を与えれたらな と思います。

生い立ち〜クローン病発症まで

生い立ち 

僕は1995年4月に大阪で生まれました。

公務員の父と専業主婦である母、可愛い可愛い弟に囲まれながら何不自由なく幼少期を過ごしました。

3歳から習わせてもらっていた水泳では全国大会に何度も出場し勉強も特に人より頑張っているつもりは無くても自然とできていました。

ですが中学に入り遊びたいが為にずっと行っていた水泳をやめ毎日遊んでばかりしていました。

高校は当時好きな女の子が行くという理由で猛勉強し進学校へ。

高校に入ってからはバイクの免許を取り、友達数人と一つのガレージを借り半分そこで住んでいる様な生活を送っていました。

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これは二個目のガレージです。

その頃は本当に今遊ぶことしか考えておらず、今楽しければそれで良いという風に考えていました。

高2の夏に一日前に車検が切れたバイクで事故を起こし自賠責(絶対に入らないといけない保険)も任意保険(自賠責ではまかないきれない部分をカバーする保険)にも入っていなかった僕は約900万円の借金を背負うことになりました。

今まで出来ないことはないと半ばうぬぼれていた僕には大き挫折でした。

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事故したバイクです。

その内の2,654,518円は父が出世払いという事で支払ってくれくれることになりました。

今でも父には顔があがりません。

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そして851,340円は高校生ということもあり無利子で月一万円を返済することになりました。

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残りは相手が入っていた自賠責でまかなわれました。

当時バイトをしていましたが高校生なので給料は月7,8万円が限界でした。

支払期日に間に合わず催促の手紙が来たことも何度かありましたが、現在はまだ支払い期限の猶予が残っていましたが完済しています。

 

周りの人には高くついたけど良い勉強代になったんちゃう?と言われていた

 

この頃から僕は好きだったバイクやバイクのパーツを転売していました。

高3になり進路を決める時期になっても進学校なのでほとんどの生徒が大学へ進学する中、親の離婚や別の理由もあり横のガレージのペンキ屋さんで働くことになりました。

 

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まだ卒業する前の1月から学校に行かないで働いていました。

 

 事情が事情だったので親にはあまり何も言われませんでしたが学校の先生方や周りの大人には大反対されました。

ですが真剣に将来のことを考えていなかった僕は聞き入れませんでした。

ペンキ屋を半年ほど続けたあと転々としながら今の工場を4年ほど続けました。

そして2016年に国の指定難病でもある今の医学では治らないとされているクローン病と診断されました。